西郷隆盛が5分で分かる!名言(耐雪梅花麗)や最後の言葉等を紹介!
西郷隆盛が5分で分かる!記事となります。
名言(耐雪梅花麗)や最後の言葉など、西郷隆盛について5分で分かってしまうエピソード等を紹介させていただきます。
さて、西郷隆盛は2018年のNHK大河ドラマ「西郷(せご)どん」(鈴木亮平役)でも取り上げられるなど現代でもその人気が衰えない歴史的人物の1人です。
そんな西郷隆盛ですが「西郷隆盛」と聞いてあなたならどのような人物像を思い浮かべますか?
真っ先にあのごっつくてドンと構えた肖像画が思い浮かぶのは私だけでしょうか?(笑)
では西郷隆盛はどのような人でどのような生涯を送ってきた人物なのか・・
早速見て行くことにしましょう!
◆西郷隆盛が5分で分かる!前編~その生い立ちから明治維新まで~
西郷隆盛は1827年に薩摩国で生まれました。
西郷家は下級武士であり、下から2番目という身分が低い家でした。
幼い頃から体格も良く相撲が強かったといわれています。
このあたりは、西郷隆盛の肖像画を見れば納得がいきますね(*゚▽゚*)
1839年に御中仲間とお宮参りに行った時に、他の御中仲間と友人が喧嘩をしてしまいました。
西郷がこの喧嘩の仲裁に入ったところ、上組の御中が抜いた刃が西郷の右腕内側の神経を切断してしまったのです《゚Д゚》
なんとか一命は取り留めますが、この結果、右肘を曲げることが不自由になって、武術を止めて学問で身を立てようと志すようになります。
この出来事は西郷の運命が大きく変わった瞬間だと言えるでしょう。
その後、名君と名高い島津斉彬(しまづ なりあきら)に、その才能を認められます。
そして、薩摩藩の農政、経済、軍事、教育の革新と成長に大きく貢献することになったのです。
島津斉彬の供、お付きとして、全国の諸藩を巡って広大な人脈を得ることができました。
この経験が西郷の成長に多いに役立ったのです。
薩長同盟を組んで王政復古を掲げて、戊辰戦争では討幕軍の総大将として、明治維新における中心的な存在となります。
そして幕府軍を降伏させ、江戸城無血開城を勝海舟との会談で成功させ、見事にあの明治維新をなしとげたのです。
(明治維新については→「明治維新が5分で分かる!」)
◆西郷隆盛が5分で分かる!後編~明治維新から西南戦争、そして最後の言葉まで~
明治政府は、断髪、廃刀をはじめとする欧化政策を進めるのですが、これらは形ばかりの欧化政策で日本人の心を置き去りにしてしまっているだけでした。
征韓論に敗れた西郷は、故郷である鹿児島に戻り、私学校をたて、後進の育成を行います。
しかし、明治政府は西郷と私学校の存在に脅威を覚えていました。
そこで、明治政府は偵察と特殊工作のために24名の警察官を潜入させたのです。
これが、私学校の若者たちの逆鱗に触れます。
そして政府への不満を抱く士族の面々をも怒らせてしまうことになったのです《゚Д゚》
しかし、西郷はこのことに主体的に関わることを避け始めます。
西郷は、黙ったまま、旧式の装備のまま鎮台軍がいる熊本城に攻めに掛かりました。
難攻不落という名をもつ城です。
内乱には意味をなさないことを一番知っているのは西郷です。
江戸城を無血開城させたのですから。
この明治政府との戦いが、日本最後の内戦と呼ばれる西南戦争になりました。
圧倒的な兵力を持つ政府軍に西郷の軍は徐々に追い詰められていきます。
そして西郷は、最終的に宮崎県の日向北方にある長井村で軍を解散させました。
その後、生き残った兵士たちと一緒に故郷の鹿児島に引き返します。
鹿児島に戻った西郷たちは、城山を占領したのですが、政府軍がその城山を包囲して、西郷たちを攻め立てました。
そしてついに運命の日となる明治10年(1877年)の9月24日がやってきたのです・・
西郷と将兵たちは、城山の本営にあった洞窟前に整列します。
そして最後の決意をして、城山を下山し始めたのです。
政府軍が浴びせる集中砲火が飛び交っていたのですが、西郷たちはその中を降りて行きました。
もう覚悟はできていたのです・・
そして西郷は一発の銃弾を受けてしまいます《゚Д゚》
西郷はたまらずその場で膝を落としました。
そして、西郷は一緒にいた別府晋介(べっぷしんすけ)にこう言ったのです。
「晋どん、もうここいらでよか」と・・
この言葉が西郷の最後の言葉となったのです。
西郷のこの言葉に別府は「はい」と返事をしました。
そして別府はそのまま「ごめんやったもんせー!!」と叫びながら西郷の首を斬り落としたのです。
西郷隆盛 享年49歳でした。
・・・
波乱万丈の人生を送ってきた西郷隆盛。
その人生は城山の地にて最後を迎えたのです。
◆西郷隆盛が5分で分かる!~名言(耐雪梅花麗)について~
幕末から明治維新という動乱の時代に波乱万丈の人生を生き抜いてきた西郷隆盛。
それゆえ西郷隆盛は数多くの名言を残しています。
その中でも特に有名で今でも多くの人たちの心に刺さる名言が次の言葉です。
耐雪梅花麗
「ゆきにたえてばいかうるわし」と読みます。
意味は・・
梅の花は冬の冷たい雪や厳しい寒さを耐え忍んで乗り越えるからこそ、初春に素晴らしく美しい花を咲かせて、そのかぐわしい香りを発するのだ。
人間は苦難や試練をなんとかがんばって耐え抜き、そしてそれを乗り越えることができれば、大きく成長して成功するのだということです。
身が引き締まることばですね。
いくら今がつらくて過酷な状況だったとしても、あきらめずに前を向いて一歩でも二歩でもがんばって自分のペースで少しづつでも前に進んでいけば必ず報われる・・ということだと思います。
現代の人たちの心をも突き動かす西郷隆盛。
激動の過酷な時代に一生懸命に生きて耐え忍んだ西郷隆盛の人生に心から祝福を送りたいと思いますm(_)m
ここまでおつきあい下さいましてありがとうございました(*゚▽゚*)
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