明智光秀の年表や織田信長との関係&本能寺の変等を5分で紹介!
今回の記事では、戦国時代の武将、明智光秀について取り上げたいと思います。
明智光秀といえば、本能寺の変を起こして主君である織田信長に対して謀反を起こした人物というイメージが強いですね。
また歴史モノの小説やドラマ、映画などでも明智光秀は度々登場して、物語の中で重要な役割を果たしています。
フジテレビの月9のドラマ「信長協奏曲」でも、主人公の信長に仕える家臣として光秀は登場しており、この物語の中では信長に忠誠を誓い、従順な家臣として描かれています。
(この「信長協奏曲」について気になる方はこちらまで♪→「「信長協奏曲」のあらすじ&ネタバレ」)
またなぜか信長に対して尽くしていたにも関わらず、本能寺の変を起こしてしまった光秀。
この本能寺の変は日本の歴史の七不思議のひとつとして、その真相についてはいまだはっきりしたことが分かっていません。
そんなミステリアスな人物、明智光秀について、5分でわかるようにまとめましたのでぜひご覧ください(*゚▽゚*)
では「明智光秀」の人生にようこそ・・・
※明智光秀が主人公の2020年NHK大河ドラマ「麒麟が来る」についてはコチラ!
>>「麒麟がくる 脇役がすごくて主人公は誰?状態に..ドラマ動画もあり!」
◆明智光秀の人生をざくっと!
明智光秀はこんな感じの人です。
武将!というよりはなんだかやさしい感じのおじさんって印象が強い気がしますね(*゚▽゚*)
明智光秀は、鉄砲の技術に長けており「百発百中」とまで言われていて、かついろんな諸学にも通じて教養も深いまさに文武両道の優秀かつ有能な武士でした。
また主君である織田信長からの信頼も相当厚かったそうです。
(織田信長について気になる方はこちらまで♪→「5分で分かる織田信長」)
ではまず、明智光秀の人生をざくっと眺めてみましょう。
ーー1528年(1歳)ーー
美濃国の斎藤道三の家臣だった明智光隆の子として誕生します。
ーー1556年(29歳)ーー
斎藤道三の息子である斎藤義龍に明智城を攻められて、明智一家は離れ離れとなってしまいます。
その後は光秀は、浪人(放浪人)となって諸国を放浪します。
光秀にこのような時期があったんですね。。《゚Д゚》
そして放浪中に、鉄砲などの武士に必要な技術や和歌などの教養も身につけます。
この時期に当時、国を支配していた足利幕府の要人である細川藤孝と知り合うことになります。
いろいろ紆余曲折を経て、越前国の朝倉義景に仕えることになります。
ーー1565年(38歳)ーー
この時期に松永久秀と三好三人衆が13代将軍であった足利義輝を暗殺してしまいます。
これは永禄の変と呼ばれています。
※三好三人衆とは、三好長逸、三好政康、岩成友通で、近畿圏内で活躍していた重臣。
細川藤孝は足利義昭をかくまって、足利将軍家の復興のために尽力します。
細川藤孝は、朝倉義景に相談を持ちかけていたため、細川と光秀はこの際に再会することになります。
ーー1568年(41歳)ーー
朝倉義景はいっこうに将軍家の復興に協力しようとはしませんでした。。。
やきもきした光秀は、尾張国の織田信長に相談を持ちかけます。
そして、信長はこの相談にのって了承し、信長と光秀は足利義昭と共に京都に上洛することになります。
信長に担がれて京都に上洛した足利義昭は最終的に朝廷が了承し、15代将軍として君臨することになります。
朝廷をも動かす当時の信長の勢いはすごいものがあったんですね。。。(*゚▽゚*)
朝倉義景に使えていた光秀は、この件を境に織田信長に仕えることになります。
一件落着し、信長が京都を去ったあとは、光秀は村井貞勝達と京都に残って治安維持に従事します。
ーー1570年(43歳)ーー
織田信長と足利義昭の人間関係がぎくしゃくしてきます。
足利幕府の再興に注力しようとする義昭と、武力による天下統一を目指していた信長の思惑が違っていたため、徐々に両者の間に溝が生まれてしまったのです。
光秀は信長と義昭の仲を取り持とうとするのですが、義昭は信長を討ち取ろうとします。
一方、天下取りのために邁進していた信長に光秀は、浅井氏打倒のための計画を提案します。
そしてこの案は「姉川の戦い」となり、織田信長軍は浅井・朝倉氏を破ります。
光秀は、信長に高く評価されて、京都の警備を任せられることになります。
ーー1571年(44歳)ーー
織田信長の命令に従って、光秀は比叡山の焼き討ちを実行します。
ーー1572年(45歳)ーー
信長より光秀は近江国の志賀郡5万石を与えられます。
そして、この前年に焼き討ちをした比叡山麓の坂本の町の行政を担うことになります。
そして、防備の拠点として琵琶湖岸に坂本城を築城し、そこに居城します。
織田家の出世頭になった光秀はとうとう城の当主となったのです。
ーー1573年(46歳)ーー
越前国攻めにより、またまた手柄をたてます。
そして、信長打倒に注力していた足利義昭を信長と共に山城槇島城に攻めます。
最終的に、義昭は敗北し、事実上、これにて室町幕府は滅亡することになります。
ーー1577年(50歳)ーー
信長に謀反を起こした松永久秀の居城である信貴山城を攻めて、久秀を破ります。
ーー1578年(51歳)ーー
丹波国に亀山城を築城して、琵琶湖岸の坂本城と合わせてなんと2つの居城を持つことになります。
着々と信長の元で大名としての力をつけていきます。
ーー1579年(52歳)ーー
丹波国にある八上城の波多野秀治、秀尚兄弟を攻めて落城させます。
そして、弓削城主の一色義定も攻めて降伏させることにより、とうとう織田家は丹後国を手に入れることになります。
この功労により、信長より丹波国一国の29万石を与えられ、織田家の近畿方面における司令官となります。
福智山城(福知山城)を築城して、光秀の娘の夫である明智秀満を城主としました。
ーー1582年(55歳)ーー
中国方面の司令官であった羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)は信長に出馬要請をして、信長はこれを受け、大軍を派遣することにします。
そして、この派遣軍の中に、光秀も入っていました。
しかし、光秀は信長の命令に背き、織田信長のいる本能寺に軍を向けます。
そして、信長を襲撃して、本能寺は炎上します。そして信長はそこで自害することになります。
これが有名な「本能寺の変」です。
光秀はその後、周りから支持を得られずに孤立してしまいます・・・
中国地方から帰ってきた羽柴秀吉と、山崎で戦いますが、破れてしまいます。
そして、この戦のあとに敗走しますが、その途中で、小栗栖の竹藪にて、農民に襲撃されて死没します。
享年55歳でした。
(豊臣秀吉について気になる方はこちらまで♪→「豊臣秀吉が5分で分かる」)
◆明智光秀と織田信長の関係 ~ 本能寺の変が勃発
信長から見て光秀は、実績や能力においては信頼できる重臣であったようです。
光秀は繊細な神経の持ち主で、かつ人並み外れた類まれなる才知も持っており、また生真面目な性格であり情け深くもあったため、信長以外の周りの家臣などからも信頼されていたそうです。
そんな真面目で情に深い光秀ですので、当然、信長への忠誠心は確固たるものがあったと思われます。
信長が目指す天下統一に向けて、光秀は次々に信長のために戦に赴いては勝利し、信長の勢力を広げる大きな役割を果たします。
信長はそんな功労者の光秀に次々と自分の領土を与えたり、司令官に任命したりして褒美を与えます。
ですので、信長と光秀は硬い主従関係で結ばれていた・・・と思われがちですが、本能寺の変が起こってしまいます。。
日本の歴史の七不思議のひとつである「本能寺の変」。
光秀が主君である信長に対して謀反を起こし、信長が自害する・・という歴史上でも大きな出来事のひとつとなっていますが、この事件の真相はいまだにはっきりとは分かっていません。
なぜ光秀が信長を裏切ったのか?
なぜ謀反を起こしたのか?
いろんな説がありますので、代表的なものをご紹介しますね。
・光秀の怨念説(この説と次の野望説が一般的)
信長にいじめられていた光秀が、信長に恨みを抱いて起こした・・・という説。
・光秀の野望説
光秀も天下を取りたかったから引き起こした・・・という説。
・元親擁護説
光秀と親交が深かった四国の武将の長宗我部元親に信長が攻めようとしていたのを止めるため・・・という説
・好機到来説
信長を倒す好機が訪れたから起こした・・・という説。
・性格の不一致説
光秀と信長の性格があまりにも不一致で合わなかったため、引き起こした・・・という説。
・朝廷の守護説
信長が朝廷を滅ぼすことを計画していたため、事前にこれを防いだ・・・という説。
・暴君の討伐説
あまりにも暴君と化した信長をこれ以上暴走させないために討伐した・・・という説。
・無罪説
実は光秀は、この犯行にかかわっていない・・・という説。
・伊賀忍者犯人説
徳川家康の命令で伊賀忍者が起こした・・・という説。
・斎藤利三犯人説
実行犯は光秀ではなく、光秀の家臣であった斎藤利三(さいとう としみつ)が起こした・・・という説。
・共謀説
光秀以外にも共謀者がいた(光秀・秀吉、光秀・家康など)・・・という説
・黒幕説
この事件には黒幕がいて、この黒幕が光秀に犯行を起こさせた・・・という説
(黒幕としては、朝廷、足利義昭、フロイス、ローマ教皇など)
(黒幕説については「本能寺の変の謎、黒幕は誰だ?」をどうぞ)
以上となります。
真相は明智光秀本人のみぞ知るので、あくまで想像の域は出ないのですが、私は一般的に言われている怨念説や野望説にはやや懐疑的です。
周りからの信頼が厚く、生真面目な光秀が恨みだけであんな事件を起こすかな・・と思ってしまいます。
考えられるのは、あまりにも真面目で情に深い光秀が、もしあんな事をしたのであれば、やむを得ない事情があったのではないか?と思います。
だとすると、「元親擁護説」や「朝廷の守護説」などが考えられます。
また光秀の意志ではなかったすれば、「無罪説」や「伊賀忍者犯人説」、「黒幕説」などがありますね。
いずれにしても、真相は光秀本人のみぞ知るですので、何らかの証拠などで真相が分かるまでは想像するしかないですね(*゚▽゚*)
皆様はどのように思われますか?
以上で5分で分かる明智光秀を終わりたいと思いますm(_)m
・・・
あまりにもミステリアスな空気に包まれた明智光秀。
実は、現在、織田家と明智家の子孫同士で交流があるそうです。
この「本能寺の変」から500年を経た現在、ようやく光秀と信長が我々に分かる形で彼らの「真実」を語ってくれているのかもしれません。
最後までおつきあいいただきまして、ありがとうございましたm(_)m
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とても分かりやすい記事でした