豊臣秀吉の年表や織田信長との関係&天下統一等を5分で紹介♪

2020年4月26日

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今回の記事は豊臣秀吉についてご紹介したいと思います。

みなさまは豊臣秀吉と聞いてどのようなイメージが思い浮かぶでしょうか?

私にとっての豊臣秀吉のイメージは、主君の織田信長の弟子、猿、天下統一、大阪城、大阪夏の陣などを思い浮かべます。

また、屈指のアイデアマンで織田信長にその手腕を認められていた・・という印象があります。。

信長が果たせなかった天下統一を果たした秀吉。

この豊臣秀吉は、歴史モノの小説やドラマ、映画などでも数多く取り上げられて、物語で重要な役割を果たしています。

フジテレビ系列のドラマ「信長協奏曲」でも信長に仕える家臣として、その存在感を確立しています。
(「信長協奏曲」について気になる方はこちらまで♪→「「信長協奏曲」のあらすじ&ネタバレ」

では、早速、豊臣秀吉の生涯の年表や信長との関係、天下統一に至る軌跡などなど、、を5分でざくっとご紹介したいと思います。

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◆豊臣秀吉の年表について

まずは豊臣秀吉の生涯の年表をご紹介します。

豊臣秀吉4
「豊臣秀吉」

ーー1537年(0歳)ーー
尾張(愛知)にて農民、百姓の子として誕生します。

ーー1554年(17歳)ーー
織田信長に仕えます。

(織田信長について気になる方はこちらまで♪→「5分で分かる織田信長」)

ーー1561年(24歳)ーー
浅野長勝の養女(高台院)ねねと結婚します。
戦国時代は政治的な政略結婚が当たり前の時代でしたが、ねねとの結婚は
当時としてはめずらしく恋愛結婚となります。

ーー1566年(29歳)ーー
信長が美濃を落とすための要所、墨俣一夜城(岐阜県)を築き、木下藤吉郎(秀吉)の出世の大きな足がかりとなります。

ーー1573年(36歳)ーー
織田軍は浅井・朝倉氏を攻略します。
この戦いで大きな功績をあげた秀吉は、浅井氏の居城であった小谷城に入城して、北近江の12万石を領することになります。
(木下藤吉郎から羽柴秀吉に改名)

ーー1574年(37歳)ーー
長浜城を築城。
この城は、秀吉が最初に築いた居城となります。

ーー1580年(43歳)ーー
長浜城から姫路城に入城します。

姫路城
「姫路城」

ーー1582年(45歳)ーー
織田信長の家臣、明智光秀の謀反により、本能寺の変が起こり、君主の織田信長がこの世を去ります。
(本能寺の変については「本能寺の変の謎、黒幕は誰だ?」をどうぞ)
この後、すぐに山崎の合戦で明智光秀を破ります。

清洲会議にて信長の跡継ぎを、秀吉の推薦どおり三法師(信秀)と定めます。

(明智光秀について気になる方はこちらまで♪→「5分で分かる明智光秀」)

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ーー1583年(46歳)ーー
信長の家臣、柴田勝家と対立します。
そして賤ヶ谷(しずがたけ)の戦いで、柴田勝家を破ります。

その後、大阪城を築城します。

大阪城2
「大阪城」

ーー1584年(47歳)ーー
小牧・長久手の戦い(こまき・ながくてのたたかい)で織田信雄(のぶかつ)・徳川家康と戦います。
この戦いは1年にも及ぶ長期戦となりましたが、秀吉の勝利に終わります。

徳川家康について気になる方はこちらまで♪→「5分で分かる徳川家康」)

ーー1585年(48歳)ーー
四国地方の長宗我部元親を破り、四国を平定します。

秀吉は左大臣関白職となります。

ーー1586年(49歳)ーー
徳川家康が秀吉の家臣(かしん=けらい)となります。

ーー1587年(50歳)ーー
太政大臣太閤となります。
(羽柴秀吉から豊臣秀吉と改名します)

この年、九州の島津義弘を破り、九州を平定します。

ーー1590年(53歳)ーー
関東地方の北条氏政・氏直を破り、関東と奥州(東北)を平定して天下統一を成し遂げます。

ーー1592年(55歳)ーー
朝鮮に出兵します(文禄の役)。
朝鮮は中国の明に援軍を要請し、秀吉軍と明との間で和睦交渉が行われましたが、決裂します。
(秀吉が朝鮮に出兵した理由は、主君であった織田信長の未完の計画を実行したという説があります)

ーー1594年(57歳)ーー
大阪城から伏見城に入城します。

ーー1596年(59歳)ーー
2度目の朝鮮出兵(慶長の役)をします。
なかなか決着がつかず、1598年に秀吉が亡くなり、秀吉軍は撤退をしました。

ーー1598年(61歳)ーー
伏見城で天寿を全うします。
(死因は「脚気(かっけ)」「胃がん」などいろんな説があります)

以上が秀吉の生涯年表となります。

◆見事、天下統一を果たした豊臣秀吉

天下統一を果たした秀吉。
この天下人となるまでの道筋を見ていくことにしましょう(*゚▽゚*)

天下統一

まず、織田信長の重臣、明智光秀が謀反を起こし、本能寺の変が勃発します。
そして秀吉の主君、織田信長がこの世を去ることになります。

(本能寺の変について気になる方はこちらまで♪→「明智光秀と織田信長の関係や本能寺の変などを5分で紹介」)

この直後、秀吉と明智光秀は戦って、光秀に勝利します(山崎の戦い)
(光秀はこの後、農民に討ち取られてしまいます)

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そして、信長亡き後の後継者を決めるべく、清洲城で会議が開かれます(清洲会議)。
織田家の家老である柴田勝家は信長の三男である織田信孝を推薦し、秀吉は信長の嫡男の織田信忠の長男である三法師(織田秀信)を推薦します。
最終的に秀吉推薦の三法師が信長の後継者となります。

秀吉と柴田勝家との確執がどんどん強まり、とうとう賤ヶ岳(しずがたけ)の戦いで決戦することになります。
秀吉は勝利し、秀吉は実質的に信長が作り上げた体制の継承者となりました。

柴田勝家
「柴田勝家」

その後、今度は徳川家康と対立することになります。
家康との小牧長久手(こまきながくて)の戦いでは引き分けますが、最終的には家康は秀吉に降伏し、家臣となります。

徳川家康について気になる方はこちらまで♪→「5分で分かる徳川家康」)

そして、紀伊(和歌山)、和泉(大阪)、越中(富山)、四国を平定し、秀吉は朝廷から関白の官位を受けます。
※関白とは天皇の代わりに政治を行う職のことです。

次に九州(島津義久(しまづよしひさ)が降伏)、関東(北条氏直、氏政が降伏)と奥州(東北)を平定して、ついに全国を統一します。

これにより、豊臣秀吉は、日本史上、初めて天下統一を果たすことになりました。
いわば、日本国内の、あらゆる勢力群(朝廷や寺社、武家など)を秀吉の支配の元に置いたのです。

◆豊臣秀吉と織田信長との関係

では次に秀吉と信長の関係について見ていくことにしましょう。

織田信長

「織田信長」

この2人は主従関係でした。
秀吉は信長に仕えていました。
そして、秀吉は任される仕事ひとつひとつで着実に成果を上げて、信長に褒められてその地位を確立していくことになります。

有名な話では、寒い時期に信長の草履をふところに入れて温めてから信長に差し出すという細かな気遣いを示したり、台所奉行になった時には、とことん節約をして薪の費用をそれまでの3分の1にまで減らしたり、プレハブ建築のような方法を編み出して、なんとたった3日で城を完成させて、信長の稲葉山城攻略に大きく貢献したりして、信長から大きな信頼を得ていました。

また数多くの戦でも功績をあげ、浅井長政の裏切りにより信長が絶体絶命のピンチに陥った時にも秀吉は信長を守るべく先頭に立って戦い見事、信長を守ったりして着実に織田家の中で台頭していきます。

いわば秀吉はアイデアマンであり、ケースバイケースで最適で効率がよく、最大の成果をあげるような工夫をして信長から気に入られて、どんどんと出世していったのです。

アイデア

信長が天下統一の目前で本能寺の変により無念の死を遂げた後は、織田家の内部での勢力争いに勝って、信長後継の地位を得ます。そして、着々と全国の大名を制圧していき、遂には信長の悲願であった天下統一を果たすことになります。

秀吉は、主君であった信長の遺志を継いだ形になりますね(*゚▽゚*)

◆豊臣秀吉と徳川家康との関係

秀吉も家康も共に天下統一を果たしました。

ではこの2人の関係はどのようなものだったのか見ていくことにしましょう。

家康
「徳川家康」

信長亡き後、秀吉と家康は敵対することになります。
何度かこの2人は衝突を繰り返すことになりますが、最終的には家康は秀吉に降伏することになります。

この後、当初は秀吉は家康に対して懐疑的でしたが、家康は秀吉に対して誠実に奉仕したため、徐々に秀吉は家康を信頼するようになってきます。
こうして家康は豊臣政権下で着実にその名声と地位を獲得していくことになります。

秀吉は死の床で、信頼する家康に息子の秀頼が成人するまでは政務を代行し、前田利家には秀頼の後見をするように依頼します。
そして秀吉が亡くなった後、なんと家康は手のひらを返すことになります。

家康は、伊達政宗などの有力大名とお近づきになるなど秀吉の遺志に反した行動をとり始めます。
もちろん前田利家はそんな家康に対して激怒し、家康は苦境に立たされるのですが、利家が亡くなってしまいます。
その後は、有名な関ヶ原の戦いが起こります。
この関ヶ原の戦いで家康が勝利し、家康は天下統一を果たすことになります。

秀吉はまさに家康の「長期的な策略」にハマってしまった形となります。
しかし、家康が天下統一をすることで、江戸幕府はその後260年も続いたので、もしかしたら秀吉はあの世で「わしはしてやられたが、家康もなかなかやりよるな・・」と家康の功績を讃えているかもしれません。。(*゚▽゚*)

徳川家康について気になる方はこちらまで♪→「5分で分かる徳川家康」)

・・・・

以上で5分で分かる豊臣秀吉の紹介を終わりたいと思います。

歴史的には、徳川家康が最終的に天下統一を果たしたわけですが、「もし」豊臣秀吉の天下統一がずっと続き、豊臣家が幕府を開いていたらこの日本はどうなっていたんでしょうね(*゚▽゚*)
アイデアマンの秀吉のDNAが各将軍に引き継がれ、もしかしたらもっと便利で暮らしやすい世の中になっていたかもしませんね。

百姓出身だったにも関わらず、奇抜で群を抜くアイデアや戦略で信長の信頼を得て、頭角をあらわし、最終的には亡き主君信長の遺志を引き継ぎ、見事に天下統一を果たした豊臣秀吉。

志を持ち、最後まであきらめなければ何事をもなし得る・・・
ということを自らの人生で体現した秀吉。

我々現代人も秀吉から大いに学ぶところがありますね(*゚▽゚*)

最後までおつきあいいただきまして、ありがとうございましたm(_)m

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