明治維新について5分で分かる!坂本龍馬等の人物等の概要
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今回の記事は、日本の歴史上、どでかいイベントの1つである明治維新についての概要をご紹介したいと思います。
明治維新は、日本の歴史を語る上でも、外せない大きな出来事の一つであり、またこの時代は現代でも人気があり、いろんなドラマや映画、小説などにも使われていますね。
例えば、NHK大河ドラマの「龍馬伝」や「花燃ゆ」、映画「半次郎」「竜馬を斬った男」、そして小説では「江戸開城」や「異人館」など、とても多くの明治維新に関する作品が作られています。
(NHK大河ドラマ「花燃ゆ」が気になる方はこちらまで♪「花燃ゆのあらすじ♪」)
この記事をご覧いただいて、明治維新について少しでも興味を持っていただければ・・と思います(*゚▽゚*)
では、早速、明治維新の世界へどうぞ・・・(^O^)
◆明治維新について5分で分かる!坂本龍馬等の人物等の概要について
明治維新の流れと活躍した人物についてご紹介します(^O^)
明治政府が行った重要な改革とは、西欧式文化の導入や身分制度の廃止、廃藩置県を実施したことです。
簡単に言うと、近代的封建国家から西欧型帝国主義国家に改造したということになります。
改造事業だけでも、飛躍的な向上が行われた事はいうまでもありません。
さて、ではこの日本の大改革とも言えるべき明治維新はいったいどのようにしておきたのでしょうか?
ここで、忘れられない人物がいます。
そうです。知る人ぞ知る坂本龍馬です!
坂本龍馬は薩長同盟を締結させ、倒幕のために大政奉還成立に力を入れました。
薩摩藩と長州藩は元々、対立していたのですが、倒幕のために力を合わせる機運が出てきたため、両藩は「薩長同盟」を結びました。
この締結に坂本龍馬は仲介役として大きな役割を果たしたのです(*゚▽゚*)
そして、薩摩藩と長州藩は、武力で討幕をしようと考えていました。
しかし、土佐藩は武力を使うことは避けたいと考えていて、龍馬といろいろと策を練っていたのです。
そして、龍馬は大政奉還の案を提案して、土佐藩を介して、将軍である徳川慶喜に建白をします。
結果的にこの案は受け入れられ、慶喜は政権を天皇に返して大政奉還がなされたという流れになったのです。
これにより250年近く続いた徳川幕府の幕が下ろされることになりました。
このように、龍馬の行動は、その後の明治維新に多大な影響を与えたのです。
(坂本龍馬について気になるかたは「5分で分かる坂本龍馬」まで)
さて、では、次にこの後の動きを見てみましょう。
江戸幕府による大政奉還の後、王政復古によって天皇による新政府が成立しました。
まず、明治維新として行われたのが、軍隊の導入です。
徴兵令を導入し、近代的な軍隊を作ることを始めました。
次に行ったのが身分制度の廃止で、いわゆる士農工商を廃止し、四民平等を訴えました。
しかし実際のところは、士族、それ以外は平民として、旧公家・大名などは華族という特権階級とされてしまったのです・・・
華族と士族には特権が与えられていましたが、廃刀令が出されると士族の特権はなくなってしまいます。
そして、この廃刀令に我慢ができなかった士族たちの反乱が多く勃発してしまったのです・・《゚Д゚》
1877年に薩長同盟で活躍した西郷隆盛が率いる最大の反乱の西南戦争が鎮圧されたことで、長きに渡った反乱も幕を閉じることになります。
西郷はこの際に自害したとされています。
(西郷隆盛が気になる方は→「西郷隆盛が5分で分かる!」)
この明治維新をすすめるのに伴い、税収の確保が問題となりました。
そこで、土地を基本とする新たな税制度が構築されたのです。
1871年には土地の売買が可能となり、1874年の地租改正条例が制定されることで、土地は、私有となり土地所有者に地券というものが発行されるようになりました。
そして、地租という形で課税されることになったのです。
これにより、土地に対する私有財産権が完全に確立し、資本主義の基礎条件が成立することになったのです。
産業面では、富国強兵・殖産工業のスローガンのもと、政府主導の産業の育成が行われました。
富岡製糸場などの官営模範工場が作られ、西洋式の工業技術が導入されました。
教育に関しては、藩ごとの独自教育制度があったものの地域差が大きいという問題がありました。
全国一律の教育制度が必要との認識から、義務教育が開始されます。
小学校令や帝国大学令が発表された結果、全戸に尋常小学校や高等小学校、大学が新設されて、徐々に一般階級の民衆にも高度な教育が受けられるようになったのです。
また、女子教育の必要性にも声が上がるようになりました。
これにより、伊藤博文らによって女子教育奨励会が設置されることになります。
そして1874年に女子師範学校が設立されたのです(*゚▽゚*)
男子への教育と比較すると流れは遅かったものの、徐々に女子への教育の必要性も広まっていったのです・・・
・・・
以上で、5分で分かる明治維新の記事を終わらせていただきます。
この記事が少しでも「明治維新とはなんぞや?」のご回答になれば、幸いです(^O^)
最後までおつきあいいただきまして、ありがとうございましたm(_)m
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