上杉謙信の年表や武田信玄との関係&川中島の戦い等を5分で紹介♪
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今回の記事は、戦国時代の名武将、上杉謙信について取り上げたいと思います。
上杉謙信と言えば、あの武田信玄のライバルであり、川中島の戦いで互いに激闘を交わしたことで有名ですね。
「越後の龍」の異名を持ち、天下統一をする可能性も十分秘めていた武将なだけに、戦国時代有数の武将として名高いです(^O^)
また「信長協奏曲」でも信長に敵対する強敵として登場します。
(この「信長協奏曲」について気になる方はこちらまで♪→「「信長協奏曲」のあらすじ&ネタバレ」)
では早速、上杉謙信についての生涯や宿敵である武田信玄との関係、有名な川中島の戦いなどを5分でダイジェストに紹介したいと思います(*゚▽゚*)
まずは謙信の生涯についてざくっと年表でみていくことにしましょう(*゚▽゚*)
◆上杉謙信の年表について
ーー1530年(1歳)ーー
越後の長尾為景(ながおためかげ)の末子として誕生します。
ーー1544年(15歳)ーー
栃尾城の代本庄氏や栖吉城主長尾氏などの協力を得て、初陣の戦で勝利します。
ーー1545年(16歳)ーー
上杉家の老臣である黒田秀忠が謙信の兄、景康を討ち取って謀反を起こしますが、謙信は黒田氏を討ち取ります。
ーー1548年(19歳)ーー
上杉定実(さだざね)の調停によって、兄の晴景が弟の謙信を晴景の養子として跡を継がせることになります。
謙信は越後の守護代となって春日山城に入ります。
ーー1550年(21歳)ーー
将軍の足利義輝から越後の国主大名としての待遇を受けて、翌年に越後統一を果たします。
一方、一族の長尾政景(まさかげ)が謀反を起こしますが、最終的に政景は降伏します。
ーー1553年(24歳)ーー
兄の春景が病死します。
そして、領土を奪われてしまった信濃の各武将たちから要請を受けて、ついに武田信玄軍と対決することになります。
これが有名な第1回目の川中島の戦いです。
(武田信玄について気になる方はこちらまで♪→「5分で分かる武田信玄」)
この年に始めて京都に上洛し、後奈良天皇と室町将軍である足利義輝に会います。
ーー1555年(26歳)ーー
第2回目の川中島の戦いが勃発。
この戦いは決着がつかずに、駿河の今川義元の調停によりいったん和睦することになります。
ーー1557年(28歳)ーー
信濃の侵略を押しすすめていた武田信玄に対して、戦いに挑みます。
これは第3回目の川中島の戦いです。
ーー1559年(30歳)ーー
この年にも京都に上洛して、正親町天皇と足利義輝に会います。
ーー1560年(31歳)ーー
富山城の神保長職(じんぼながもと)を討ち取ります。
ーー1561年(32歳)ーー
関東平野を次々に制圧していき、北条方の諸城も攻略します。
山内上杉家を相続して、関東管領として就任します。
そして第4回目の川中島の戦いがありました。
この4回目は最も熾烈な争いを繰り広げた合戦で、謙信と武田信玄が一騎打ちをしたといわれています。
ーー1563年(34歳)ーー
騎西城(埼玉)と小山城(栃木)を攻略します。
ーー1564年(35歳)ーー
永小田城(茨城)を攻略します。
そして第5回目の川中島の戦いが繰り広げられます。
ーー1569年(40歳)ーー
越中にて椎名康胤(しいな やすたね)を制圧します。
ーー1570年(41歳)ーー
ずっと敵対してきた北条氏康と和睦します。
ーー1571年(42歳)ーー
北条氏康の七男である氏秀を養子にして、父子の儀を結びます。
そしてこの年に北条氏康が亡くなります。
氏康の後継者である北条氏政(うじまさ)が謙信との同盟を破棄します。
そして、なんと氏政は武田信玄と和睦し、謙信と対立することになります。
ーー1572年(43歳)ーー
越中に入って一向宗徒と戦います。
富山城を攻略します。
ーー1573年(44歳)ーー
武田信玄が亡くなります。
椎名康胤(しいなやすたね)、神保長職(じんぼながもと)を打ち破り、越中を平定します。
ーー1574年(45歳)ーー
対立していた北条氏政に対抗して、関東に出陣します。
金山城、騎西城、羽生城等を攻略していきます。
この年の終わり頃、謙信はとうとう出家し、朝廷から法印大和尚という称号を貰いました。
ーー1576年(47歳)ーー
本願寺顕如と和睦します。
将軍の足利義昭(よしあき)からの織田信長の討伐要請を受けて、武田・北条と和睦し、打倒信長のための体制を築きます。
(織田信長について気になる方はこちらまで♪→「5分で分かる織田信長」)
ーー1577年(48歳)ーー
能登の大名である遊佐続光(ゆさつぐみつ)が謙信とやりとりをして、遊佐が反乱を起こしました。
この結果、能登も制圧することになります。
その後、手取川の戦い(てとりがわのたたかい)で、織田信長軍を撃破します。
ーー1578年(49歳)ーー
関東への遠征直前に脳溢血で倒れてしまい、そのまま永眠しました。
享年49歳でした。
以上が上杉謙信の生涯の年表となります。
では次に上杉謙信を語る上で外せない武田信玄との関係について見ていくことにしましょう。
◆武田信玄との関係
「越後の龍」の異名を持つ上杉謙信と「甲斐の虎」の武田信玄。
この2人は戦国時代で無類の強さと言われており、かつお互いにライバルとして何度も合戦を繰り広げました。
果たして、この二人の関係はどのようなものだったのでしょうか。
一般的には、謙信は信玄をかなり嫌っていたと言われています。
謙信は幼少の頃から寺に入って、禅の修業と文武の道を学んでおり、信仰心が非常に厚く義を重んじます。
そんな謙信は、自分の父親を追放したり、敵をあざむく信玄が、道徳観にかなっていないとして許せなかったとされています。
しかし、信玄が亡くなった事を謙信が知ったとき、「私は好敵手を失ってしまった。これほどの英雄はいなかったのに・・・」と言って号泣したと言われています。
少なくとも、謙信が信玄に対してある種、好敵手として認めていた節は感じられます。
また「敵に塩を送る」という言葉の元になった謙信のエピソードから見ても、信玄に対する特別の思いがあったのが垣間見れます。
今川氏真(いまがわうじざね)は信玄と敵対していたため、塩を送るのを止めますが(信玄の領地の甲斐と信濃は塩が取れない)、謙信はこの行為を批判し、なんと信玄側に越後の塩を送ったと伝えられています。
謙信はあくまで同じ土俵で、戦いによって信玄と正々堂々と決着をつけるつもりだったからです。
この話が真実だとすると、信玄は謙信に対して感謝したでしょうし、川中島の戦いで5回も合戦を繰り広げているところを見ると、お互いにある種、好敵手として、また良きライバルとして尊敬しつつ、認め合っていたのではないか・・
という話の方が信ぴょう性があるような気がします(*゚▽゚*)
また番外編となりますが、実は謙信が「女性」だったかもしれない・・というびっくり説もありますヽ(´Д`;)ノ
そして、謙信が女性であり、信玄は謙信に惚れていた・・・とか。
この「上杉謙信女性説」の根拠はいくつかあるそうなので主なものをご紹介しますね。
・織田信長の贈り物
織田信長は、有力な大名に贈り物を送っていましたが、謙信には、女性にしか贈らなかった物を送っていたとか。。
・謙信が婦人病にかかっていた!
謙信は女性特有の「大虫」という更年期の婦人病によくかかっていたとか。。
・自身を叔母と名乗る!?
・謙信が、スペイン国王のフェリペ二世宛に送った書簡に、謙信が「上杉景勝の叔母」(景勝は謙信の養子)と書いていたとか・・・
・肖像画が女性っぽい!?
謙信の肖像画ですが、この記事の上の方にも載せた謙信像は教科書でもよく見るものです。
これですね。
しかし、実はこの肖像画は謙信亡き後の江戸時代に描かれたものらしいです|゚Д゚)))
一方、謙信がいた戦国時代に描かれた謙信像はこちらです。
ヒゲはないですし、見ようによっては女性らしく見えなくもないですね。
上杉謙信が女性・・・皆様はどう思われますか?
◆川中島の戦い
上杉謙信と武田信玄を語る上で外せない「川中島の戦い」。
なんと11年にわたって5回もこの戦いは繰り広げられました。
信玄が、信濃(長野)に侵攻してきたため、信濃の地元豪族の村上義清と高梨政頼は謙信に助けを求めてきます。
この要請を謙信は受けて、信濃を謙信の手中に収めれば、頼ってきた村上と高梨に領地を分けて、残りの領地は謙信のものにしようと計画します。
信濃を謙信が制圧すると、地理的に将軍のいる京都に信濃は近いため、京都に上洛する際の足がかりとなるため謙信も信濃がほしかったのです。
そして、信濃奪取のため、謙信と信玄は5回にも渡り、死闘を繰り返すことになるのです|゚Д゚)))
さて、この死闘の結果、謙信か信玄かどちらが勝ったのか?について気になりますね。
総合的に見ると五分五分と言われています。
合戦、戦闘の結果だけで見ると、どちらが勝ったとも言えません。
まさに両軍、均等な強さで戦ったのであり、勝敗すらつかなかったのです。
しかし、この戦いが終わってからの政治的な観点から言うと、信玄の勝ちと言えそうです。
というのも、合戦後、信玄は北信濃のほぼ全域を領することになったからです。
ほんとうに謙信と信玄は戦国史上、最強の武将であり、お互い最強のライバルであった・・・
と言っても過言ではありませんね。。(*゚▽゚*)
以上で、5分で分かる上杉謙信について、終わらせていただきたいと思います。
この記事が上杉謙信について少しでも関心を持っていただけるきっかけになれば幸いです。
最後までおつきあいいただきまして、ありがとうございましたm(_)m
(気になる記事はページ上の虫眼鏡で検索を♪)
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