タロジロ 南極で共食い!?第3の犬とは?なぜ置き去りにされたのか?
映画「南極物語」にもなったタロジロについて、気になる話題をお届けしたいと思います。
南極観測隊と共にそりを引くなどして協力してきた15匹の犬がやむを得なく現地に放置されたのですが、1年後に戻るとなんと2匹のタロとジロは生きていたのです。
極寒の南極でなぜ1年間もタロとジロは生きていたのしょうか?
共食い説や第3の犬の存在、そしてそもそもなぜ置き去りにされてしまったのか!そしてタロとジロの剥製などに関する話題についてくわしく見ていきたいと思います。
では、どうぞ!
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目次
タロジロ 南極で共食い!?第3の犬とは?なぜ置き去りにされたのか?
タロとジロの生存劇の物語は、1983年(昭和58年)に映画「南極物語」が作られるほど、注目され、語り継がれているものとなります。
タロとジロは、初期の国家プロジェクトとして実施された南極地域観測隊に一緒に同行した樺太犬の兄弟です。
このプロジェクトは、1957年~1958年(昭和32年~33年)にかけて実施されたもので、タロとジロを含む22匹の犬と共に観測隊員たちが南極に行きました。
しかしやむを得ない理由で、最終的にタロとジロを含む15匹の犬が南極に取り残されたのですが、なんと1年後にタロとジロだけが発見・救出されたのです。
では、タロとジロたちはそもそもなぜ置き去りにされたのでしょうか?
また南極という極寒の地でなぜタロとジロだけは生き延びることができたのでしょうか?
次にこれらの理由について見ていきたいと思います。
タロジロはそもそもなぜ置き去りにされたのか?
タロとジロたちはなぜ置き去りにされたのでしょうか?
1958年(昭和33年)2月のことです。
南極地域観測隊の第1次越冬隊は昭和基地にいて、第2次越冬隊と交代する予定でした。
しかし、現地の悪天候によって第2次越冬隊は昭和基地への上陸を断念せざるを得ませんでした。
昭和基地に滞在していた第1次越冬隊は小型飛行機で移動して、南極観測船「宗谷」に撤退することにしました。
この時にタロとジロの運命が変わるのです。
小型飛行機は重量に制限があり、人間だけでギリギリだったのです。
タロとジロを含む15頭の樺太犬は当初、第2次越冬隊と対面するはずだったのですが、重量的に15頭の樺太犬は小型飛行機に乗れなかったため、やむなく鎖に繋がれたまま基地に取り残されることになったのです。
この時点では天候の回復を待ってから、第2次越冬隊が昭和基地に上陸するつもりだったため、犬たちは鎖につないだままで残されたのですが、天候は結局は回復せずに、このままでは南極観測船「宗谷」も遭難してしまうという判断をし、犬たちはそのままで人命優先で帰還したのです。
以上の理由で、最悪な状況が重なって犬たちは鎖につながれたまま取り残されたのです。
餌も与えることもできませんし、鎖につながれ身動きもとれない犬たちは絶望視されたのです。
しかし、1年後の1959年(昭和34年)1月14日に、第3次越冬隊が南極に向かい、昭和基地になんとタロとジロが生存していることが確認されました。
なぜ、鎖につながれしかも餌にもありつけない状況でタロとジロは南極という極寒の中、1年間も息ながらえたのでしょうか?
次にその部分について見ていきたいと思います。
タロジロは南極で共食いしたのか!?
15匹の犬が鎖につながれて置き去りにされた後、一年間もいったいどのように生き延びたのか?
当時はタロとジロの生還がセンセーショナルに報道され、どのように2匹が南極という極寒の環境で生き残ったのかが、日本中で注目されました。
鎖につながれた15匹の犬のうち、7匹は鎖につながれたまま死んでいて、タロとジロを含む残りの8匹は鎖を外して逃げていたことが確認されています。
さて、タロとジロが1年間も生き延びた理由として考えられた説は、タロとジロは仲間の犬たちを共食いしたのではないか?ということです。
犬同士の共食いは動物学的にも認められているので、この「共食い」は有力な説とされました。
しかし、第三次越冬隊に参加していた北村隊員が発見した七頭の遺体については、いずれもきれいなままだったため、共食いしたという証拠は見つからなかったのです。
基地にあった人間用、犬用の食料を食べた?
次の説は基地に残された人間用、犬用の食料を食べて生き延びたのでは?というものです。
しかし、基地を調べたところ、いずれの食料も手付かずの状態でこれらの食料は一切食べていなかったことが確認され、さらに謎を呼びました。
タロジロと共に生き延びた第3の犬とは?
では、いったいタロとジロはどのようにして生き延びたのでしょうか?
タロとジロが生き延びることができた理由として、第3の犬の存在があげられています。
タロとジロが生還してから9年後の1968年(昭和43年)に昭和基地のそばにある雪の中から、1匹の樺太犬の死骸が発見されました。
灰色で短毛な犬特徴から、この犬は「リキ」とされています。
リキは、第1次越冬中にまだ幼かったタロとジロを親のように面倒を見ていたそうです。
リキはタロとジロに自分の餌を与えたりして、片時も離れずに2匹の面倒をよく見ていたのだとか。
そして、置き去りにされてからもおそらくリキは、タロとジロの面倒を見ていたのでは?と考えられています。
しかし、リキは最年長だったため、若いタロとジロの面倒を見ながらも厳しい環境の中で徐々に体力を失い、最後に力尽きてしまったと思われます。
タロとジロは、リキが命はてるまで面倒を見てもらい、その後は2匹で力強く生き抜いたのではないか?と見られています。
リキの存在はタロとジロが生き延びる上でとても大事な存在だったのでしょうね。。
タロジロは何を食べていたのか?
タロとジロが食べていたもので、一番有力な説は、アザラシの糞だとされています。
アザラシの糞には消化されずに残っているエビや小魚もあり、タロとジロはアザラシの糞を食料にすることによって生き抜いたのでは?と言われています。
またアザラシやペンギン、魚を食べていたのでは?という説もありますが、タロとジロが発見されてからしばらく基地に滞在していた時にも2匹がこれらのものを食べるところは見られていません。
動物が糞を食べることはごく自然のことなので、アザラシの糞を食料にして生き延びたという説が一番有力となっています。
またタロとジロは残された犬たちの中でも一番若かったため、体力もあって、厳しい極寒の中でも食料にありつきながらなんとか生き残ったのではないかと言われています。
タロジロの剥製(はくせい)がある!?
タロとジロの剥製(はくせい)があることをご存知でしょうか?
実は2匹の剥製は別々の場所に保管されています。
タロの剥製は札幌市の北海道大学植物園に、
ジロの剥製は東京都台東区の国立科学博物館に保管されています。
帰国後のタロについて
タロは第4次越冬隊と一緒に日本に帰国しました。
1961年5月4日のことで実に四年半ぶりの帰国でした。
そして、帰国後、1961年から1970年までの9年間、札幌市にある北海道大学植物園で飼育されましたが、1970年(昭和45年)の8月11日に14歳7か月でこの世を去ったのです。
老衰のためでしたが、人間の年齢で言うと実に80~90歳くらいでしたので、天寿を全うしたと言えますね。
死後は、剥製として同園で展示されています。
帰国後のジロについて
ジロは、第4次越冬中に昭和基地で病死してしまいました。
1960年(昭和35年)7月9日のことで5歳でした。
南極という極寒の中、共に苦楽を共にした兄弟のタロは残されて寂しかったでしょうね、、
帰国後、ジロの剥製は東京都台東区にある国立科学博物館に置かれました。
タロとジロ秘話の動画はコチラ!
第4次南極越冬隊の隊員だった吉田栄夫氏のタロとジロに関する秘話についての貴重な動画がありますので、ぜひご覧ください。
どうぞ。
(南極犬タロ、ジロ秘話-第4次南極越冬隊・吉田栄夫氏に聞く【南極大陸】:810cojpチャンネルより)
タロとジロたちを置いてきた理由についても当事者として答えられていますね。
やはり天候の問題で犬を一緒に連れていくことがきなかったみたいですね。
南極という極寒と悪天候という環境での苦渋の決断だったということが言えます。
当事者としては非常につからったでしょうね。。
タロジロに関する世間の反応は?
タロとジロに関する話題について、世間の反応を見てみたいと思います。
こちらです。
「子供の頃に親が連れていってくれた初めての映画が南極物語だった。
クレパスにおちたりシャチに襲われたりと可哀想すぎてあまりにショックが大きかった。
ただ今思うのは、その時の隊員の方々も辛かっただろうなぁ。。犬達の冥福を祈りたい。」「南極物語ですか懐かしいですね
犬の世話係がひとりだけ残ればよかったのにと当時も思ったものです
それくらいの物資や燃料は備蓄してるはずですからね」「事情があったにせよ、置き去りにされた犬達のことを想うと胸が痛みます。」
「部下が今も越冬隊員としてかの地で仕事をしています。生きとし生けるものを拒絶する南極。そこで起きた全てのことは彼らの全身全霊の努力の結果と信じています。」
「「晩年のタロはね、暑さに弱いからって、札幌の街中にある広〜い植物園にある博物館の北側の日陰に置かれた冷蔵庫を改造した犬小屋で静かに余生を過ごしていたんだよ」と、昔に爺ちゃんから聞いた。」
「「かわいそうなゾウ」とともにこのような悲劇は二度と起こさないよう語り継いでいきたいですね。」
「自分のペットを剥製にする人は少ないので、ハチ公やタロジロが剥製になっていることを驚く方もいるかもしれない
昔は系統学や遺伝子、環境などからみた生物学というものがなく、標本や剥製にするのが精一杯の生き物へのアプローチだった」(ヤフーコメントより引用)
まとめ:タロジロ 南極で共食い!?第3の犬とは?なぜ置き去りにされたのか?
南極で生き抜いたタロとジロについて、共食い説や第3の犬の存在、そしてそもそもなぜ置き去りにされてしまったのか?やタロとジロの剥製などに関する話題についてお届けさせていただきました。
映画「南極物語」で描かれて話題になったタロとジロですが、未だに多くの人たちの心に彼たちの物語は刻まれて、語り継がれています。
二度とこのようなことはあってはならないと感じつつ、当時どうしても犬たちを置いていかなければならなかった越冬隊員たちのつらさも相当なものだったと思います。
慰霊の気持ちを込めて、再びタロとジロへの冥福を心から祈りたいと思います。
ここまでおつきあい頂きましてありがとうございました(*^_^*)
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コメント一覧
どうせ誰も読まないだろうけど、一言だけ
共食いは否定できないし、隠すべき事でもない
人間だってするときはする
鎖が外れなかった犬はすぐに死んで、雪に埋もれちゃうから、
ご遺体が無傷なのも分かる(低体温による安楽死)
いなくなったイヌはご遺体がないので、共食いを否定も肯定もできない
何でも美談にすれば良い訳じゃないでしょ
熊がいない南極なら、イヌは最強じゃん