ヴァリニャーノとは?織田信長と会ったイタリア巡察師です!

2017年7月23日

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どうも、こんにちはヽ(^0^)ノ、ねこまりもです。
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テレビのクイズ番組のQさまでヴァリニャーノについて出されて、あの芸能人の中では秀才とされているロザンの宇治原が答えられなかった・・
としてネット上で話題となっています。

このヴァリニャーノについてはさほど難しい問題ではなく、おそらく?宇治原は番組を盛り上げるためにわざと間違えたのかな?とかいった憶測も流れています

が・・・
それはさておき、このヴァリニャーノについて気になってしまいました(笑)

のでヴァリニャーノについてシェアさせていただきますね(*゚▽゚*)

◆ヴァリニャーノについて

ヴァリニャーノはフルネームで「アレッサンドロ・ヴァリニャーノ」です。
キリシタン時代の日本を訪れたイタリアの巡察師の一人です。

ヴァリニャーノはカトリック教会の司祭でイエズス会員です。
こんな感じの人です。

アレッサンドロ・ヴァリニャーノo
「アレッサンドロ・ヴァリニャーノ」

なんだかやさしい感じの宣教師って感じですね(*゚▽゚*)

当時はインドや中国といった地域まで布教活動をしていて、その極東の先に日本という国がありました。
そしてヴァリニャーノはインドを通じて、極東の日本を訪れることになります。
長崎の口之津港に到着しました。
1579年7月25日のことです。

ちょうど夏なので当時はセミの鳴き声や気候も蒸し暑かったので大変だったでしょうね・・ことばももちろん分からないし。

これ以降、3年間日本に滞在することになります。

ヴァリニャーノは「郷に入れば郷に従え」の考え方を徹底します。

当時の宣教活動の際には、訪問した現地の習慣などに従うことなんてしなかったそうですが、ヴァリニャーノは全く違い、「郷に入れば郷に従え」で当時の日本の文化、考え方を学び、徹底してその慣習に従ったそうです。

宣教師たちが訪問した場所の慣習に溶け込むことで、彼らの布教活動を違和感なく壁をなくして自然に溶け込ませようとしたのです。

この考え方は現代でも充分通用すると思います。

例えば、新しい学校に転校したり、新しい会社に入社したり、外国に移住したりして今までとは違う環境に身を置くことになった時に、そこの慣習ややり方、考え方を踏襲せずに、違うやり方を押し通そうとすると必ず激しい抵抗にあいますよね・・・

私も少なからず何度か経験があります・・・《゚Д゚》

しかし、そこのやり方に馴染めば自分自身もそこの文化ややり方、考え方を理解できて共感できますし、そこの環境に溶け込んでから徐々に自分の色を出していけば自然と違和感なく受け入れてもらえます。

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ヴァリニャーノは日本文化、日本人を理解し、日本人の資質を高く評価しました。
その上で日本人司祭の教育に専念し、日本での宣教活動を広めていったのです。

当時の日本人としてもヴァリニャーノのやり方で彼らを受け入れることができて宣教活動は徐々に浸透していきました・・・(*゚▽゚*)

ちなみにヴァリニャーノは織田信長にも会っています。
そして、ヴァリニャーノが従者として連れてきていた黒人を信長はたいそう気に入ったので信長にこの従者を献上します。
後にこの従者は「やすけ」と信長に名付けられて、信長の側近として仕えることになりました。
(織田信長について気になる方はこちらまで♪→「織田信長が5分で分かる!

今回、ヴァリニャーノについて調べていくうちに、相手に受け入れてもらうことの重要性について再認識させられた次第です。

ヴァリニャーノさん、ありがとうございますm(_)m

最後までおつきあいいただきまして、ありがとうございましたm(_)m
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